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 『フェレ天使☆』 2008年12月26日 作者インタビュー
・・・インタビュアー ( X )     ・・・作者 ( まつはらともふみ )

まずは、『フェレ天使☆』という作品が生まれた経緯から教えてください。
 『フェレ天使☆』というタイトルは、Mixiの「☆フェレ天使☆」というコミュニティから
頂戴しているんです。
 
「☆フェレ天使☆」というのは・・・?
 「飼っていたフェレットをという形で失った皆さん、天使となった我が子達を想い
ながら、語り合いましょう」
・・・という主題で作られたコミュニティ掲示板です。
 
なるほど。それは『フェレ天使☆』に通じるテーマですね。
すると、『フェレ天使☆』はコミュニティが起源の作品という事になるのでしようか?
 ですね。
そこでのコメントのやり取りを読ませていただいたり、実際に僕自身も書き込みして
他の方達と会話してみて、それでまた色々と感じる事がありますし。
そういうものが僕自身の中に自然に積み重なって行って、その結果として、
こういう作品を描いてみても良いんじゃないだろうか
・・・と思ったんです。
 
コミュニティ発信の絵本漫画というのも、面白い発想ですね?
 作者目線で言うと、その漫画が「面白いかどうか」って所はこの『フェレ天使☆』では
全然考えてないんですけどね。
いやしくも商業漫画家を名乗ってた者としては、漫画を描く上ではそこは必ず考えて
おかないといけないんだろうとは思うんですけど・・・・。
「面白い」=「売れる」=「たくさん読んでもらえる」っていうのが、現実的な単純な論法
な訳ですし。
「面白い」と思ってもらえて、ナンボ!なのが漫画でしょうから。

 でも、そこは、それ。
僕みたいに未熟な人間の場合だと、そういう発想で始めてしまうと、ものすごくあざとい
モノと言うか、お涙頂戴だけのヒドく陳腐な話にしかならないような気がしたんです。
そうなると、その結果、「この漫画、ツマンナイ!」って皆離れてしまうんじゃないかナ、
と・・・。
 ・・・実際には、その辺り、どうなのかは分かりませんけど、徹底的に客観的にドライに
眺めてみた時に、そういう気分が強くありましたから。
それに、素直に従ったんです。

 そこで、大きな物語やキャラ作りっていう事は全くやらずに、本当に
「その時、こんな風に感じた」という事だけを、そのまま描きました。
そういう事をした事で、今度は、そのために、
「何、これ?今までのマンガと違うじゃん!」とか「全然ツマンナイ!」って反応もある
かも知れない・・・って不安も、すごく生まれてます。
そんな中で描いてるのが、この『フェレ天使☆』なんですよね・・・・。
 
それは、また、ずいぶん弱気とも取れますね?(笑)
 弱気も弱気。(笑)
まぁ、基本的にはトコトン楽観的なんですけどね。
その一方で、弱気な気分がいつも頭や胸の奥にベッタリとくっついて回ってると
いうんでしょうか・・・。
 ・・・漫画家なんて皆、大体こんなものでしょうけど。

 考えてみれば、元々Mixi自体、弱気の虫ありきで入会したものですしね。
『フェレ☆ま〜』の「ママたん」から、「デジコミの宣伝になれば〜」ってお誘い
を受けまして。それで・・・・。

僕としては、「現在はインディーズ活動という形で、漫画は描いてます」な訳で。
以前のような全国展開商業誌の後ろ盾が無い中での執筆活動、が実情です。
それまでは請負仕事としてのジレンマこそあれ、描きさえすれば原稿料がもらえ
た訳ですよね。売れようが売れまいが、それすら関係なく。
だから、営業宣伝ってものに対しては特に何の意識も持ってないまま育って
来てる所があります。
そのため、「金のために描くなんて、キタナイ!」みたいな意識が深層心理に
あったりとか、ね。

現実的には大人な訳だから、その辺は最低限のシビアで常識的な社会ルール
というものはしっかりと持ちつつ、仕事をしてるつもりではありますけど。
頭では、ね。
でも、実際はそうした純粋と言うより子供っぽい感傷が抜け切れない所がある
んです。
困った事に。(苦笑)

 だからこそ、今ここで、そうした「自分の苦手としている宣伝というものも、
一つ真剣にやっておく必要はあるだろうな・・・とは思います。
「・・・こんなものですけど、どうでしょう?」
って恐る恐る出すような、そんな頼りないものではありますけどね。
でも、そんなものであっても、やっぱり、それはやっておかないと・・・。
 
冷静に自己分析した上での、覚悟みたいなものでしょうかね。
・・・まぁ、確かに、シビアな話、「宣伝無きものは、無いものと同じ」とも
言いますし。
漫画家という職種である以上、そこは避けては通れない所なんでしょうね?
 「物の良し悪しより、宣伝の量」・・・でしたね?
営業論というヤツ、僕も大学でよく聞かされました。
・・・どうも、僕には細胞レベルで馴染めない考え方ではあるんですけど。(苦笑)
ただ、そこはきちんと頭に入れておかなければいけない事だとは思います。

 ≪物の良し悪し≫って話にしても、
「じゃあ、お前の描いてるものは絶対に良いと言えるものなのか?!」
と問われると、それは判断のしようも無い。
僕が「これは良いことだ!」とどんなに思った所で、世の中にいる僕以外の他人達
がそれを同じように「良い!」と思うかどうかは、実際にその人達一人一人に聞い
てみないと分からない事ですから。
「良い!」と思う人もあるかも知れないし、「そう思わない!」って人もあるでしょう。
「元々興味も持てないし、何とも思わない」って人も当然いる事でしょう。
 だから、≪良し悪し≫って話にもあまり興味が持てない。
・・・って、だから、宣伝の方もバシッ!と決まるようなハッキリとしたものが出来ない
んだと思いますけどね。(苦笑)

 でも、それはそれとして。
Mixiでは、別のもっと大事なものを見つけられたと思ってます。
例えば・・・が、この「☆フェレ天使☆」コミュですね。
 
・・・と言いますと?
 「生きてる事って、何だろう?」「生きてた者って、何だろう?」、
それから、
「これから自分が生きて行くためには・・・?」
っていう考え方っていうんですかね。
そんなものが、そこにはあると思うんです。
「天使」という言葉を使うと、
「何だ、メソメソして」とか「聖人ぶってる」なんて批判的に見る人もいますけど、
むしろ、そういうものとは程遠いと言える所もあるのではないか、と。

 「フェレットって、何?」
というと、「☆フェレ天使☆」コミュニティの登録者さん達は、
「ペット」という回答は嫌う所でしょう。
正解があるとしたら、それは、「家族」かも知れません。

「家族に死なれた」訳ですから、哀しいのは当たり前。
増してフェレットを初めとする「動物達」は、意識は純粋なままだったりしますよね。
一緒に暮らしてると、肉体は年老いて行っても心はずっと幼児のままだって事が
理屈じゃなくて感覚で分かるようになります。
だから、その子達を見た時に「可愛い」と感じる訳だし、守ってあげたいとも思うん
じゃないでしょうか。
その時の感情は赤子を持った親、もしくは兄姉のそれでしょう。

 だからこそ、その子らを失った時に、
「この子を守ってやれなかった!」
と自分を責める感情が生まれて来たりするんですよね。
「死ななくても良かったんじゃないか?」「助けてやれたんじゃないか?」
という気持ちが、どうにも頭から離れない。
だから、
「本当に可哀相な事をした」
と思う訳だし、それが続くと、
「私は、良い親では無かったのかも知れない・・・」
と、持て余した哀しみや怒りの感情がずっと内へ内へと向けられて狂いそうに
なるわ、虚脱感でいっぱいになるわ、で。
それは、もう、大変です。
 
まさに、「ペット・ロス」というものですね・・・?
 「病名」を付けられる事に抵抗感を持つ人もいると思いますけど、
「心が患う」という点では、まさに「病気」と言える状態になってしまう訳ですよね。
そうした事を踏まえた上で、でも、なおかつ、その「☆フェレ天使☆」コミュニティ
の人達には、「それを乗り越えて行こう!上を・前を向いて生きて行こう!」って
いう意思を感じるんです。

 それは、「そうする事が、あの子達を幸福にする事につながる」と知っている
からじゃないかと思うんです。
「あの子達は、まっとうに生きた。だから、彼等の行き先は≪天国≫なんだ」、
と。
「だから、笑って見送ってあげなければいけない」、
と。

 その一方で、
「それは、分かってる。でも、私は、なかなか、その意識に行き着けない。
・・・だって、まだ哀しいんだもん・・・」、と。
・・・・こういう事じゃないでしょうかね?

 そういう風に痛みを感じられないと、分からない事は多いものですし。
そうした痛みと向き合う事はとても勇気がいる事だとも思います。
他人の話を聞いて、そして考えて、自分自身を見つめ直して行く。
それは、ひいてはあの子達の為であり、他の家族の為であり、
そして自分の為である、と。
それが、明日へ向かうって事なんじゃないかな、と。

 ・・・何か、格好つけて言えば、そんな感じですかね。
そういう風に、
「辛い事は、有る。けど、一生懸命顔を上げて、前へ進もうと私は思う。
そして、それを示す事が、他の誰かの助けになるなら・・・・」
っていう空間は、今という時代に絶対に必要なもの!
だと言えるんじゃないかな、と。
 
・・・・。
それが、「☆フェレ天使☆」・・・?
 と、少なくとも、僕は思ってます。
そんな空気を感じてます。

「そんな事考えてませんでした」って人もあるとは思いますけど、
でも、端から見た時の皆さんの姿というのは、僕にはそんな風に映りまし
たよ、と。

 そういうものを見て、僕自身すごく勇気をもらいましたし、いろいろと考え
させられた所もたくさんありました。
その事に、すごく感謝してるんです。
それに対して、自分は何ができるのか?どうすべきなのか?と自答した
時に、この『フェレ天使☆』という絵本漫画の執筆が頭に浮かんだんです。

 ・・・いえ。
頭で考えたと言うより、いつの間にか自然に沸いてた感情と言った方が
正しいかも知れません。
 
応援歌のようになれれば、という事ですね?
 そうなれれば良いなと思いますけど・・・。
・・・実際は、どうでしょうね?

「とても、そんな風には思えない」って感想を持つ人もあるかも知れませんし。
「力になった」と感じる方があれば幸いですけど、それはもう、読まれる方達に
ゆだねるしかありませんから。

 今の所は「☆フェレ天使☆」管理人さんから、とりあえず、応援の声を頂戴
できてますので、それだけでも僕としては上出来と思う事にします。
 
自己完結してしまいましたね?(笑)
 たまには、こうやって自分をなぐさめておかないと。(苦笑)
特に重い題材を扱った時には、こちらの落ち込み方もハンパじゃないもん
ですから。
何か、「痛み感情」みたいなものが全く無防備にひんむかれてしまったよう
な気がしてます。
 
以前は、「ギャグ物を描いた後には、ひたすら落ち込む」って言われて
たような気がしますが・・・。
「誰にも会いたくなくなる時がある」とも聞きました。
 そうでしたね。
確かに、それもあります。

 「爺ちゃんが亡くなったというのに、僕はマンガを描いている。
それも、こんなお気楽で下卑たギャグマンガを・・・。
何やってんだろうな、僕は・・・。」
・・・っていうもので・・・。

 ・・・まぁ、それでも、「頑張れよ〜」って笑って言ってくれてた爺ちゃんの
ためにも、明るく元気に笑ってないと!
・・・って思えるのが、ギャグ物であったりもしますからね。

 それに比べると、重い話は、立ち直り所を見つけるのが難しいな・・・
と思います。
 ・・・いや、「何となく、分かるようになった、ような気がする」
・・・程度のものでしょうかね。
 
・・・なるほど。
色々と、あるのですね・・・・。
 ・・・まぁ、あったり、なかったり・・・・ですか。(苦笑)

ただ、いずれにしても、それらは「描いてる僕が感じている事」に過ぎません
から。
「そんな事には興味がない。ただ、楽しく漫画が読みたい」って人を引かせ
たりしないように、そうした感情が漫画全面に出てしまわないようには
気をつけたつもりです。

 でも、まぁ、わざわざこんなコメントを読もうって人の場合はこうした描き手の
グチめいたものであっても、生の肉声を聞いてみたいって思う人達でしょう
から、こうしてここである程度吐き出してしまっても良いかな、と。(苦笑)
 
・・・ですね。(笑)
では、最後に、読者の方々に 一言お願いします。
 『フェレ天使☆』は、読者の方達への一つの「問いかけ」ととらえていただけ
たらな、と思います。
それらの答えは、読者の方達一人一人の中に必ずあるものと信じて発信した
もの・・・と思いたいのです。

皆さんの心の中で、それぞれに、その先のそれぞれのストーリーが構築され
て行く事を願いつつ、『フェレ天使☆』をよろしくお願いします・・・・
と申し上げておきます。
 
本日は、ありがとうございました。



取材協力: 
【☆フェレ天使☆】
(Mixiコミュ)
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